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最近もつ違和感について

最近、ある政治団体の動向を眺めています。

その中で団体の代表が、支持者に対し「月500円のお金で自分を自由に使えると思わないでもらいたい」という言葉を耳にしました。どうやら支持者たちから、あーしてほしい、こうしてほしい、という意見が毎日飛んできて参ってしまっているようだ。

この発言には支持者の中でも賛否が分かれているようだった。否定的な意見としては、「支持者にそんな言い方ないわ」とか「やっぱり金か」といったもの。

ぼくはこのようなお客様気分という風潮は、この先の世の中では10年程度の時間をかけて廃れていくんじゃないかなと思っているんです。

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お客様は神様なのか?

最近は、「お客様は神様」という言葉に違和感を感じる人も多い。お客様は神様であるとは、社員教育やクレーマー気質の客によって使われている。それの意味するところは、お金をもらっているのだからお客様の言うことを聞け、という意味だろう。

しかしこの言葉のもともとの意味はお客の言う事を何でも聞けという奴隷契約のようなことではなく、神様に祈るように邪念を捨て、澄んだ心でお客様に相対せよという意味なのである。

自分が相手に求めているものは自分が差し出したもの相応か?

さて、話を戻すと団体の支持者は月500円のお金を代表に差し出している。しかし500円はアルバイトの時給でも30分以下の時給である。団体の代表を動かすにはあまりにも少額の金額であることは誰の目からも明らかだろう。

このお金で数万人もいる人間それぞれからあれやこれや言われては、普通の人なら参ってしまいますよね。

意見を出すのは大切だが、受け手のことを思いやる気持ちを忘れてはいけない

意見を言うことは良いことです。しかしゴミ箱にゴミを投げるようになんでもかんでも投げかければいいというわけではありません。相手の時間も限られており、その中でどうしたら自分の意見が相手に伝わるかをよく考えてボールを投げなければいけません。それを考えてボールを投げることが、ボールの価値を上げ、相手の行動を促すことができる、かもしれないのです。

いかにも思いつきのようなことを相手にぶつけてしまうと、相手にそれは伝わってしまいます。ボールの価値をどのように上げるから人それぞれのセンスにかかっていることですね。難しい。

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